人がこの世を離れるときに。

すごくスピリチュアルな記事です。

ご興味のあるかただけ、ご覧ください。

 

巫女修行のなかで、

自宅の神棚に来たみたまさまや、

土地のみたまさま、

神様からご依頼を受けたみたまさまを

ご供養することがあります。

 

経を読み、祈り、舞い、焚き、昇げる。

 

神仏にお手伝いいただきながら、

巫女ができるすべての方法で

行くべき場所へ、向かいたい場所へ、お導きする。

 

祈り中は平気でも、

終わりの挨拶をしていると、泣けてしまうことがあります。

 

みたまさまがたの、「あぁ。」という想いを、感じてしまって。

 

それは突然の別れが来た人が

ついにこの世を離れるときに感じる想い。

 

二度と帰らない故郷を発つ時の気持ちに似ている想いです。

 

愛してたなぁ。

まちも、空も、人も、山も、川も。

 

諦めと寂しさと、愛しさと、切なさと、光を混ぜたような

綺麗なガラスのような想い。

 

次に自分を受け入てくれる場所があるのもわかってる。

 

だけれど、この世が変わらず大好きで愛おしい。

 

「あぁ。」

 

切ないけれど、さようなら。

愛おしいすべてのもの。こと。ひと。

 

後悔ではなくて、

もう戻れないものを慈しむ想い。

 

それが、人がこの世に最後に持つ

想いなのかもしれません。

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世を恨んでいた人も

悲しい生を送った人も

短い人生だった人も

異端だと言われた人も

 

必ず、美しい光の粒や柱となって昇っていきます。

 

受け入れてもらえる場所がある。

 

それぞれの生前信じたものや

その地を守る仏様、さまざまな宗教の神さまが

導いてくださる。

 

巫女は、ただ

強く、優しく、凜として、

そして何より、人として愛をもって

ご縁つなぎをさせていただく道を

淡々と歩んでいきます。

 

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すべての人が

明るく楽しく

豊かで幸せな

光の道を歩んでいきますように。

 

ご奉仕できることを

できる分だけ

いっこずつ。

 

 

あいキイロ